「行政がお手本として、デジタル化をリードする存在になれたら」業務執行理事兼CIOが目指す、世界最強の行政DX技術チームとは
2024年5月1日、GovTech東京の業務執行理事 兼 CIO(最高情報責任者)に井原正博が就任しました。井原は大手からベンチャーまでIT企業でサービス開発やエンジニア組織・新規事業の立ち上げを主導したのち、自ら株式会社ビットジャーニーを起業しました。同時に、複数社の技術顧問も歴任していた井原が、なぜこのタイミングでGovTech東京に参画したのか。これまでの経歴とともに、現職への就任に至った経緯や今後チャレンジしていきたいことを語ってもらいました。
技術者〜スタートアップ経営者の経験を活かし、行政で最強のエンジニア組織をつくる
── 2024年5月、GovTech東京の業務執行理事 兼 CIOに就任しました。
私が入職して期待されていることのひとつに、強いエンジニア組織をつくることがあります。自分自身の想いとしても、日本最強の行政技術チームをつくりたいです。欲を言えば、世界最強を目指したい。
民間企業に比べて行政組織のサービスや技術力は劣っていると見られがちですが、そんなことはないはずです。絶対にやりきりたいと思っています。
任期が定められているため、どこまで変革を起こせるかわかりません。ただ、少なくとも「井原が業務執行理事 兼 CIOに就任した時が、行政DXの変わり目だったよね」と、のちに言われるような変化を起こしたいと思っています。
── これまでのキャリアについて教えてください。
新卒で、Windowsのソフトウェアを開発している株式会社ジャストシステムに入社し、表計算ソフトやインターネットサービスの開発に携わりました。その後、ヤフー株式会社(当時)に転職し、「Yahoo!メッセンジャー」のWindows版や掲示板、知恵袋などコミュニケーションサービス全般の開発責任者を務めました。
── その後、井原さんはクックパッドに転職されました。
ヤフーで開発責任者を務める中で、組織の壁にぶつかりました。一言でいうと、みんながもっと楽しく働ける環境を整えたかったのですが、数千人が働く会社で組織に変革を起こすことは当時の私には難しかったんですね。ちょうどそのタイミングで、数名でエンジニア組織を立ち上げるフェーズにあったクックパッドに転職しました。
エンジニア組織を立ち上げる上で、「エンジニアが日本で一番働きたい会社にする」という目標を立てたところ、「世界で一番」にしてほしいと言われました。正直そのハードルは高くて、世界一は難しかったのですが、 Ruby on Railsの開発組織として日本一くらいには持っていけたかなと思います。
その他、組織づくりの一環として、オフィス環境も整えていました。クックパッドのオフィスといえば、事業の性質上、オフィス内にキッチンがあることが話題になった時期もありました。家具やインテリアを扱うお店でカーペットを選んだり、キッチンに必要な食器を選んだりしていた時期もあって。「転職して何やっているんですか?」という質問に対して「キッチン環境を整えています」と返事すると、「いやいや、まさか(笑)」と少し驚かれました。
── 多岐にわたり、様々な業務を担当されていたのですね。
職種・ポジションに関係なく、会社が成長するためなら何でもやるという感じでしたね。約2年半が経って組織づくりの目標を達成できたところで、次いでクックパッド内で新しい事業をつくるという話が舞い込んできました。クックパッドと相性がよさそうな新規事業のアイデアを100案ほど企画し、当時の社長に持ち込んだんです。最終的には、クックパッドのユーザー同士が気軽につながれる「みんなのカフェ」というサービスを立ち上げることになり、企画・開発から運用までを担当しました。
── 組織開発、新規事業とクックパッドでのお仕事も充実しているなかで、そこから、なぜ独立して会社を立ち上げられたのでしょうか?
死ぬまでに一度、会社を立ち上げてみたかったからです。収入ゼロでも3年ぐらいはなんとか生きていけるだろう、起業するなら今だ!と思い、 2014年11月に株式会社ビットジャーニーを設立しました。独立してからは、徐々に他社からの「技術顧問として手伝ってほしい」という依頼をいただくようになり、多い時には月20社ほど顧問として支援していました。その傍らで自社事業も運営するような、目まぐるしい日々を送っていました。
能登半島地震での被災経験が決め手になり、GovTech東京に参画
── 約9年半会社を経営し、2024年4月1日に退任されました。
組織を自律化する情報共有ツール「Kibela」を自社サービスとして開発・運営していたのですが、自分の力ではこれ以上大きく成長させることは難しいのではないかと感じていました。サービスを販売することよりも、サービスを作ることを考える方にどうしても興味が向いてしまう。自分よりももっと事業を拡大させる力のある方にバトンをわたすのが良いのではと思い、信頼している方にKibelaや会社をお任せすることにしました。
また、社長業を続けるよりも、組織づくりをする立場の方が自分の価値を発揮できるのではないかと思ったこともあります。自社を通して、他社の組織づくりを支援する手もありましたが、最終的に色々なタイミングがうまく重なり、GovTech東京に参画することを決めました。
── GovTech東京入社の決め手は、何だったのでしょうか?
2024年1月1日に発生した、能登半島地震です。妻の実家が石川県にあり、十数年ぶりに帰省したタイミングで震度6の地震に被災しました。近くの避難所に避難し、そこで数日寝泊まりしていました。自分の両親や親戚に安否の連絡を入れ、各所に帰れなくなると知らせていたのですが、徐々にスマートフォンのバッテリー残量も少なくなっていって。自治体のホームページもサーバーが落ちてしまい、なかなか情報が得られないような状況でした。1月4日に車を運転して東京へ帰ることを決めたのですが、道中では土砂崩れが発生していて、どの道が閉鎖されているがわからず、人づてに聞いた情報をもとに運任せで出発しました。結局、石川県穴水町から石川県津幡町までは車で、その後は電車で金沢に移動して、新幹線で東京に帰ってきました。
一次情報にアクセスできない状況に直面した時に、デジタル技術の観点からもう少し改善できることがあるのではないかと思いました。電気や水道、食料はもちろん大事なインフラですが、情報も必要不可欠です。行政に対する知見はなくても、デジタルのことはわかるので、何かしら役に立てることがあるのではないかとこの時感じました。
そこで1月の下旬、会社を譲渡しようと思い、行政のDXを推進するGovTech東京でチャレンジすることを決意しました。その後、選考を経てGovTech東京の業務執行理事 兼 CIOとして就任することが決まりました。前職時代にお世話になった宮坂さんが理事長を務めていることも、私の背中を押してくれた大きなきっかけだったと思います。
行政がデジタル化をリードし、都民の安全な暮らしを守る
── 入社から1ヶ月弱ですが、どのような業務に取り組まれていますか?
入社が決まった後、宮坂さんから『CEO 最高経営責任者』という本を紹介されました。アメリカの企業のCEOに就任した人が最初の100日で何をやったのか。その事例がまとめられています。その本には、現状を否定していきなり新しいことを始めるのではなく、まずはひたすら話を聞いて状況を把握することが大事だと書かれていました。まずは社員一人ひとりから話を聞いて、現状を把握できたらと思っています。
── GovTech東京という組織は、井原さんにはどう見えていますか?
GovTech東京は2023年7月に設立されたばかりですが、短期間で成長を遂げています。これはメンバーが非常に優秀だから。優秀な人材がスピーディーに課題解決を進めていて、一人ひとりを尊敬しています。もっと褒められていいのに、みなさん謙虚過ぎると思うところもあります。
── これからのチャレンジについて、具体的に教えてください。
優秀な人材がより活躍でき、開発を内製化できるよう環境を整えていきたいです。自分たちでコードを書いてプロダクトを生み出していくためには、開発環境はもちろんのこと、さらなる物理的な環境整備も必要です。国も含めて行政組織の開発環境のスタンダードをつくり、できるエンジニアに「GovTech東京で一緒に開発をやろうよ」と胸を張って言えるようにすることが、私に期待されている役割だと思っています。
また個性を活かした組織づくりにも取り組みたいと考えています。理事という立場でGovTech東京に来ましたが、立場や役職を意識せずに対話を重ねていきたいです。皆さんには遠慮せずに話しかけてほしいですし、こちらからも積極的なコミュニケーションを心がけたいと考えています。GovTech東京がコンセプトとして掲げる「オープン&フラット」の精神で、個が立つ、おもしろい人が集まって活躍できる組織にしたいですね。
また、能登半島地震で被災した経験も踏まえ、都民ならびに国民の生活を守るために、デジタル分野で貢献できたらと思います。
デジタル化はひとりで取り組むべきものではないと思います。みんなで取り組む必要があり、そのためにはお手本を見せてくれるようなリードする存在が必要です。本来、都民や国民を支えるサービスのレベルは高くあるべきもの。行政が社会全体のデジタル化をリードしていけたらと思います。本当の意味で『人の役に立ちたい方』と一緒に未来をつくっていきたいです。
※ 記載内容は2024年5月時点のものです